見た目も味も個性的なミル貝(ミルクイ)を食べる





市場は偶然の出会いを求める場所。きょう買ったのはまず見た目がやばいミル貝。1300円の品なので結構高いけれど、今は新しい食材に挑戦する時期でしょう。調理方法については店頭にいたスタッフも知らないようだったけれど、さがせばすぐにでてくるし、特に難しいところもない。バターナイフで貝殻から取り外して、男性器かつ女性器というよりほかないミル貝の形状を堪能したあとは、肝(俗称金玉とYouTuberは言った)をとりはずし、男性器の方を熱湯に数秒つけて皮を剥く。この瞬間がある意味、調理のハイライトか。塩でぬるぬるを洗い落としたあとは、茹でて消毒した貝殻に盛り付けて完成。ミル貝の味は海を食べているような酒を呼ぶ濃厚な味わいでおいしい。

金沢の「海月が雲になる日」

理想の場所をつくるために仕事をしている。そんな志をもったお店が旅行中は特に目につく。
富山の帰り訪れた金沢の「海月が雲になる日」もそんなところ。この東南アジア料理の店は、金沢の友人に教えてもらってから1年ほどSNSのアカウントをずっとみていたので期待値も高かった。料理の皿や食材のスタイリングがよいのはもちろん、定期的な告知の際に使われる画像も使い回しではない、お店の背後を取り囲むものが自然に出ていて興味をそそった。

当日は開店直後に一番乗りしたこともあり、この建物の中をうろうろしたり、意外と(?)気さくな店主といろいろと話すこともできた。食材や調理器具のことから始まって、近所の美味しいお店のことやら、大阪の中心地出身であるがあまり好きになれなくてここに居着いたことなどなど。 やがて予約客で席がうまり、各テーブルに料理が運ばれ、賑やかな時間が訪れるのかと思いきや、ただようのは静けさだった。これは客と店の非言語コミュニケーションの成立というべき充実した静けさ。緊張感と満足感で結ばれた食事の時間を深く味わった。今度は夜の食事にもいってみたい。一組しか取らないというが、その理由もいまはわかる。

今はテイクアウト営業をされているけど、そのパッケージもお店の世界観を保っててさすがです。

富山の氷見のHOUSEHOLDという小さな宿

新婚旅行のイタリア行きが不可能になり、国内旅行にきりかえたとき、最初に候補にあがったのが、オープン当初から気になっていた富山の氷見のHOUSEHOLDという小さな宿だった。最初に知ったきっかけは、仕事でホテル作りの参考になるようなものを探していたときに見つけたウェブの記事。そこにはわかりやすく書かれた宿のコンセプトと、静かなエリアに生まれた新しい息吹を感じさせる宿の写真が、若いオーナー夫婦の気持ちとともに乘せられていて、自分は「ああ、これはもう呼ばれているな。」という感じで、心のブックマークにいれていた。刺さる人には刺さる記事からすこし。

”正面玄関”の観光ではなく、”勝手口”から始まる旅

家庭の、まちの中の日々の営みを「料理」を通して知り、楽しむ。旅先のホテルや旅館でプロのつくった食事を楽しむのもいいけれど、その土地の旬の食材を手に入れ、自分たちで料理する。HOUSEHOLDはだれかの家の勝手口から台所におじゃまするような感覚でまちを楽しんでもらうことがコンセプトの宿です。料理をすることそのものがこのまちの豊かさを一番味わえる。そう考えこの場所をはじめました。

なかなか挑戦的であり独創的である。そしてこれはオーナー夫婦以外の誰かの夢であり理想でもあるだろう。なんかこう初々しくって眩しくて少し危うくて勢いがあって、とにかくその人を動かす文章に打たれた。

と、多少構えて向かったHOUSEHOLDだったけれど、当日は近所の寿司屋で食って酔っ払ったままチェックインをした我々を、想像以上の豪快なカジュアルさで迎えてくれた予想以上に若い夫婦に迎えられ(以下省略)

写真は突然の激しい雹のあとの屋上からの景色。海と山と低い瓦屋根の光。これが氷見。またいってみたいところです。

大林宣彦監督の訃報 2020年4月10日

大林宣彦監督の訃報を知る。はじめてみた映画は「時をかける少女」だったか。そのときはあまりのめり込むことがなかったが、
2年前、シネ・ヌーヴォで組まれた大林宣彦監督特集でhouseをはじめ、名作の数々をまとめて観てからはすっかりファンになり、最新作の「花筐」では現役監督としての強烈な存在感に圧倒された。更新され続ける斬新な手法と発想。あのスケール感はフィルム時代からの実験的な自主映画作家としてのキャリアがいまも息づいていることの現れ。現在の映画として実装する技師の力量も高いのだろうこれほど特異な作家性を保ちながら大衆映画としてヒットさせる大林組の組織力も感じる。

シネ・ヌーヴォで行われた監督の誕生日祝では戦争への思いや映画への愛情を直接聞くこともできた。あの時間は忘れられない。

名古屋で買った「さびしんぼう(富田靖子)」の7インチを聴く。サヨナラあなたと出逢えて嬉しかった。この音程のずれた歌唱を採用して完成させたとき、この映画は永遠をものにした!

2020年3月30日、結婚休暇明けの月曜日。日本。

ここ2週間ほどで、急激に深刻さを増している新型コロナウィルス関連のニュース。長期旅行にいっていたとはいいづらい事態にある結婚休暇明けの月曜日。日本。

今日のニュースのこと。3月5日〜13日、英国などを旅行した大学生が新型コロナウイルスに感染し、帰国後に症状が出たにもかかわらず卒業式に出席。自粛しなかったことに対して強く批判されているーー。これは当初われわれが予定していた3月19日発のイタリア行きと旅程が近かったこともあり、当時の気持ちが想像できる。そのころ新型コロナウィルスの猛威はアジアが中心であり、感染者数において世界2位は韓国。日本は2020年東京オリンピックをなにがなんでもやる!という雰囲気の記憶はもう薄らいでいる。

イタリア行きの飛行機の欠航証明がでたのは3月4日。もし飛行機が欠航にならなければ、どうしただろうか。かなり辛い判断をしなくてはならなかった。

ーー飛行機は運航するのだし、多額のキャンセル料を支払ってまで回避するような危機ではない。という気持ちも想像できる。

旅行帰りの大学生たちの卒業式は3月23日に広島で行われ、3月24日は東京2020オリンピックの延期発表があった。ちょうどそのころは福岡の名店「天ぷら天安」にいて、近隣の会社員と昼休みをともにしたが、感染した彼女は福岡県在住であった。どこまでも自分と濃厚に関連するニュース。あなたはわたしだ。

Closing Time/Tom Waits

トム・ウェイツのことを初めて知ったのは高校生の頃、藤原ヒロシのa little knowledeだった。そこで紹介されていた1stアルバム、Closing Timeを初めて聴いたのは、美大生だったころの同級生の家だったと思う。「へえこんなんもってるんや〜」と思いながら、特に親しくなることはなかったものの印象深い。20歳の自分にとってトム・ウェイツは老成した男であり、若者の背伸びしたい気持ちも満足させるような、酒と煙草と孤独を愛する夜の音楽であった。それがなんやかんやで20年。40歳の自分が聴くと、うわ、トム・ウェイツわっか!!!という具合であり、これはトム・ウェイツがトム・ウェイツになる前のトム・ウェイツやな。と酒で上気した顔でほざくようになった。20年の月日はさすがに人を変える。このあいだの金沢旅行では、スターになる前のトム・ウェイツがライブをした「もっきりや」で当時のことを店主からきいた。客は埋まっていて、オール55ではみなでシンガロング。そんな伝説的70年代の光景があったという。そんな話を聞いてすぐ出会ったClosing Time日本盤。京都河原町丸太町の「本とレコード」にて。

Closing Time/Tom Waits

10年ぶりの歯医者通い。3ヶ月9回におよぶ通院がやっと終わった。

神経痛の原因が奥歯にあるような気がして歯医者をさがした。大阪の歯医者は初めてだったので、近所のものを調べたらやけにデザインレベルの高いサイトがあってとりあえずそこを選んだ。真新しい病院、最先端の設備、レントゲン室、大きなディスプレイ、ガラス張りの診察室、若い女の先生と歯科衛生士。フロントもほぼ女性スタッフであり、全員が自分より若い。京都の地元にいたときに通っていた歯医者は、小学生の頃から集団診察をしてもらったベテランの町医者の先生(男)だったので、その違いに不安を感じたり、歯科医院のレビューにいくらか不安を覚えたが通わないとはじまらない。最初のヒアリングをうけてレントゲン。初診で発覚した虫歯と親知らずの対策。これからのプランの提案を受けて一度通い出すともう否応なしに通い続けないといけない雰囲気になってしまった。まずは全4回におよぶ麻酔をした歯石取り。虫歯治療。この間、徐々に初期の不安はうすれ、そのうちに冗談を交えて話すような関係にまでなり、芽生えはじめた信頼感。ついに親知らずの抜歯を決意するまでになった。下の歯の抜歯はやはり難抜歯となり、うーんなかなか抜けないですね。グッ、グッ、うーん。だめだ。割って抜きましょう。と探り探りの様子が恐ろしかったが、強い麻酔をかけられたわたしは止めてくれ!というわけにもいかず、信じて耐えるしかなかった。その間、これからの人生、大きな病気をしたときにはきっと自分より若い先生に命を預けるのだろう。という思いにも浸った。抜歯は無事終わり、術後の手当がある程度終わった頃、続いて上の親知らずも抜いた。こちらはあっというまで手術もなし。これで10年ぶりの歯医者通いは3ヶ月9回で終わった。親知らずの抜歯や歯茎からの出血という長年の懸念事項からすっかり開放されたのは気持ちがいい。この間、友人知人に定期的な歯医者通いをしているか?と聞いてまわったところ、かなりの確率で通っているという返事があり驚いた。もちろん絶対にいきたくない。という人もいたが少数。私はもうすっかり歯医者の信者になったので、歯磨きのあとはフロスもするしこれからの定期検診にも通う。高額なインプラント治療は避けたいという老後を視界にいれたケアが始まった。

山名昇「寝ぼけ眼のアルファルファ」

誠光社での小西康陽新刊出版記念トークイベントでは、自分よりもさらに熱心な小西マニアの方にお会いし、見たこともないジンの存在を知ったりした。もちろん、編集者 小梶嗣 による小西康陽コラムボックスを持っているのは自分だけだろう。という自惚れも打ち砕かれた。すごいひとはいるもんや。
.
でも、小西康陽「これは恋ではない」の読者なら誰もが気になったであろう書籍、山名昇「寝ぼけ眼のアルファルファ」についてはあの会場のマニアたちでさえ誰ももっていなかったという事実!(ほとんど流通してなかったよう)。これがあのトークイベントで一番の驚きだったのではないか。
.
後日、わたしはそんな本をあっさり買うことができました。自慢。
.
DVDは、本を見て「アルファルファ(笑)」と反応してきた彼女私物。

世紀末ウィーンのグラフィック@京都近代美術館

世紀末ウィーンのグラフィック@京都近代美術館みてきて買った図録と蓮根。コレクション展ではじめて知った京都の建築家 上野伊三郎(実家の近所にインターナショナルデザイン研究所創立してた!)、はじめて名前をしった水木伸一の中国の景色を描いた水彩画もよかった。こういう美術関連のまとまった話はなかなかネットではみないし、美術館からの情報は独自のものが多くて濃いなー。濃いわ〜

ボヘミアン・ラプソディをDOLBY ATMOSで観てきた

大ヒット映画、ボヘミアン・ラプソディをDOLBY ATMOSで観てきた。QUEENってそんな積極的に聴いたことはなかったので初めて知ることも多く、クイーンの有名曲はフレディの曲ばかりではなかったり、フレディは過去に女性と結婚していた、ロン毛だった、猫が好きだった、俺はクイーンのリーダーではないリードボーカルだ!とか記者に言ってみせたりするのは驚きがあった。

QUEENを最初に知ったのはフレディーがエイズで亡くなってからのこと。10代だった自分が最初に聞いたのは、NOW 1(!)の1曲目である伝説のチャンピオンではなかったか。we are the champions my friend。またCM曲としてI was born to love you も自然と耳にはいってきた。当時は大味でむさ苦しいものに思われあまりかっこいいという印象ではなかったしwe will rock you なんかは高校の授業中に足踏みをする奴らがうっとおしくて心底軽蔑しており、ダサいやつが聞いている音楽はダサい。つまりQUEENはダサい。とティーネージャー特有の潔癖さで断罪していた。

そんなちょっと距離をおきたい存在だったQUEENが再接近してきたのは書籍モンドミュージックで紹介されてたJAZZだった。という人は自分のまわりにはまあまあいるだろう(いるだろう!)。ムスターファの衝撃はいまだ色褪せず、京都のartrock(三条花見小路にあったころ)で200円で買ったJAZZはまだ手元にある。QUEENすごい。レディオガガはこないだ買いました。