シネ・ヌーヴォで現代アートハウス入門第2夜。ヴィターリー・カネフスキー監督の「動くな、死ね、甦れ!」を観る。トークは山下敦弘と夏帆。映画の舞台は第二次大戦直後のロシア。収容地帯と化した炭鉱町に暮らす少年ワレルカ。無垢な魂を持て余し、不良ぶっては度々騒動を起こす彼を、いつも守護天使のよう救ってくれる幼なじみの少女ガリーヤ。1989年のモノクロ映画は面白かったが、その後のトークが絶望的な内容の無さで帰り道はその批判で映画以上に大いに盛り上がった。彼らは映画が好きで映画を作り始めたというタイプではないのだろう。昨日の濱口竜介、三宅唱、三浦哲哉のシネフィルとは映画への接し方が違いすぎる。成功した音楽家でも他人の音楽を聴かないというタイプは多いが、彼らもまさにそれで、このアートハウス(ミニシアター)で映画を観ることの魅力を語る場にはまったく向いていない。決定的なのは山下監督による「自宅と映画館の違いはモニタのサイズの大きさと観客の有無」という発言。こんなに無神経な人も珍しいのではないか。きょうの司会者はカネフスキー監督にインタビューをしたこともあるらしく、遅咲きのデビューになった経緯を説明してくれたこともあり、彼女の話をもっとききたかった。
しかし今回のキャスティングが無謀だったとはいいきれないの根深いところで、ミニシアターの上映からキャリアを積み、10代の少年少女を演出することが多い作風の監督と、上映作品で主演した少年ワレルカと同じ年でデビューした夏帆からきっと面白い話が引き出せるだろうと考えた選者には確かな根拠はあった。ただしそれが本人たちには届かない。本題に入るまえに前フリをしていたのも関わらず聞いていない。せっかくのお膳立てをすべて無に帰す二人。この断絶には周囲の関係者は頭を抱えただろう。観客は苦笑と失笑と心配をするしかない。司会者の積極的なイニシアチブが求められたが、おそらく遠慮があったのだろう。もし軌道修正を試みれば自分がすべて話すことになってしまう。という心理も慮れる。とにかく登壇者がふたりがそろいもそろって映画と映画館について語る言葉を持たず、上映作品とは関係のない内輪話をする二人にはあきれた。途中、席を立つ人もちらほらいたが当然だろう。

どんなに売れっ子になって忙しくなっても、登壇する以上、選出された理由を理解しよう。意図を踏まえたうえで発言しよう。人の話はちゃんと聞こう。と自分への戒めとして受け止めた一夜。…濃いイベント、6夜までつづく。