この厄介な夾雑物が、そもそもはこれまで世の中に響いたことのない新しい音楽に居場所をあたえようとする音楽ジャーナリストの情熱から生まれたものであることを思うと、痛烈な皮肉というほかない。小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか 現代の災い「インフォデミック」を考える(片岡 大右)(P92)