グラスは大関
家でリモンチェッロを二杯。これから暑くなってくると、ますます愛飲しそうな酒。これは安いものなので人工的な味がするが、なかなか売っているところはない。

15年以上前の太田和彦の本を読んで歴史ある居酒屋の魅力を追体験していたが、いまの様子を調べてみたらずっと同じように存在し続けることの難しさを思い知ることにもなった。

昼は近所の公園で花見イベント。能や謡、和太鼓のパフォーマンスを観た。近所の人だけがあつまってくる無料イベントなのでなんのハードルもない。客層の傾向も年齢の偏りもない集団、その景色は平和的である。
クリーニング店で冬物の洋服を引き取り、夕方からは梅田方面へ。妻のプレゼントを買い野外でかるく酒を飲んだあとはT・ジョイ梅田へ。クリストファー・ノーランのオッペンハイマーをドルビーシネマでみた。3時間ある伝記映画ときいていたので酒気帯びだったわたしは寝るとおもっていたが、ずっと緊張感の続く音と映像でそうはならなかった。すごい。

退勤後、大川で花見。ビールと日本酒と소주。あてはポテトチップスと干物。公園でブルーシートを広げたひとたちはたいていランタンまで用意していて感心する。たしかにあったほうがいい。帰りはラーメン屋で食べて帰る。

午後休み。衣替えとキッチンのダクト掃除。そして先延ばしにし続けていた大腸ポリープ切除の予約をした。
桜の花がひにひに開いていく。

京都の老舗のレコードやブーツィーズが店主の体調不良により閉店したと聞く。桜が咲き始めた。

三浦哲哉「映画とは何か」がとどき、読み始める。ジャン パンルヴェ Jean Painlevé を知り、YouTubeで観た映像は音楽がダリウス・ミヨーであったりピエール・アンリと知っている人との接点があっておもしろい。

友人にレコードを貸すために送る。マヘル・シャラル・ハシュ・バズの3枚組。

韓国語の講師が変わったことでの生徒の戸惑いがまだ大きい。ひたすら勉強というスタイルになり、コミュニケーションの要素はたしかに減った。
生徒の中でいちばんよくできている方が楽しくないどうしよう。と話していたのは意外な反応であった。授業の進行がぬるい、もっとペースを上げてほしいと思っていてもおかしくなかったので。大事にしているポイントは本人に聞いてみないとわからないものだと感じた1件。なんでも思い込みはよくないと、ジムで泳ぎながら反芻する。

シネ・ヌーヴォで笠置シズ子の特集がはじまった。きょうは銀座カンカン娘(監督:島耕二)1949年作品を観る。楽しく明るい作品で重苦しさは皆無ではあるが、ここに出ている人たちはみな戦前と戦後をつなぐ存在。客入りはまたまた満席で補助席も出ていた。上映後は輪島裕介のトーク。マイクの登場による唱法の変化など。
映画館を出たあとは歩いてP&Bへ。バゲットと食パンを買い近所のデリで惣菜を買い込み公園で宴会。近くでたくさんの子供がボール遊びをしているので気が抜けないが、ワイン一本とバゲット一本を完食。セカスト、やまやを経由して歩いて帰宅。よく歩いた。

有給日の朝、ラジオから流れてくる音楽の歌詞がいつもと違う響きをもつ。

もしも誰かが 不安だったら 助けてあげられなくはない 
うまくいっても ダメになっても それがあなたの生きる道
これが私の生きる道 1996年 作詞 作曲 奥田民生

午後から金沢からの友達とあべので待ち合わせ。新福菜館でラーメンを食べながら正月の能登半島地震の影響を聞いた。金沢でも玄関のドアが開かなくなったりするなど仕事と聞く。
恒例のレコード屋めぐり。ルービックレコード、レッドボーン、ハンキーパンキー、ディスクユニオン。

退勤後、電車でアキ・カウリスマキ監督『過去のない男』 Mies vailla menneisyyttäを観にいく。おなじみのカティ・オウティネン出演。中望遠レンズの画角による色鮮やかな絵画的カット、輪郭を強調するような照明、地味な笑いもいつものらしさでたのしいが、これが2002年の作品ということに驚く。画質的に80年代かとおもっていた。客入りはいつも上場。みなこのカウリスマキ特集は全て観たいと思っているだろう。映画のあとはチングで食事。それからスポーツジムへ。食べたあとすぐに運動するのは避けたほうがいい。きょうも雨。

久しぶりに晴れたがまだ肌寒い。定時に退勤して家に帰りキムチチャーハンを作って食べてから夜は自転車でシネ・ヌーヴォへ。『ハムレット・ゴーズ・ビジネス』 Hamlet liikemaailmassa(監督:アキ・カウリスマキ) 1987年。自宅からシネ・ヌーヴォへは自転車でも電車でもかかる時間はほぼ同じ。スポーツジムは23時までなので、無理すれば間に合ったがきょうは韓国語の宿題に時間を当てる。
明日はまた雨の予報であった。ヤフオクとメルカリで本とレコードを購入。