去年末に配信公開された曽我部恵一の新譜、lovelessを2回通して聴く。

自宅勤務初日。業務的に特に問題はないが、事務所へ電話や訪問などの直接連絡が来たときに、どう対応できるのか気になるところはまだ残る。会社に出社することでの、余計なロスから開放されることはあるが、自宅勤務が続くことは決して喜ばしくはない。しかし収束への道はまだまだ遠いのだろう。

ずっと自宅にいるのも気が滅入るので、仕事を終えたあと酒を買いに外出。南森町の酒屋は兼八を定価で売っているのでありがたいのだが、めずらしく売り切れてなかった。かわりに中々を購入。

細い通りを走っていたら突然、子供突進してきてぶつかった。おいかけっこをしていた小学生低学年くらいの少年と、自転車による不可避の自家というやつ。倒れた彼はおきあがり、泣くこともなく「すいません」と話したが、少し前を保護者らしき人がこちらを振り返り、近づいてくる。

金曜日。野村芳太郎の映画がどれも面白い。砂の器をシネ・ヌーヴォで観た。大作でありながら大味には陥らない深みを讃えた作品。脚本もいいし、カメラの川又昂も素晴らしい。またしても電車はよく走り、大人数の会議の並びもしっかりディレクションされており映画的快楽にも満ちている。そして昭和の顔、丹波哲郎。
帰り道は時短営業中でお店はどこもしまっており、暗い。松島遊廓も時短営業中。

歯医者の定期検診。当然というべきか、院内もいつになく緊張感が漂っている。歯科医師も衛生士もマスクにフェイスシールド。きょうから妻は自宅勤務がはじまった。わたしは振替休日なので仕事はしないが、料理はいつもどおり作る。この感じ、失業者のシミュレーションのようだ。

韓国での結婚式から1年目の記念日。市場では高級食材こ買い込んだ。蟹一杯、鮑、貝柱、マグロなどなど。

土曜日。また緊急事態宣言で今後の映画館の座席も少なくなるよう。夜シネ・ヌーヴォでロベール・ブレッソン監督「少女ムシェット」を観る。

南正人の訃報を知る。音楽をはじめて聞いたのは京都高野の居酒屋「まほろば」で。黒川修司のことを調べていたとき。数年前にライブがあったというので訪ねたのだった。食事をしながら店主に声をかけてみると、おもしろい話とやばめの話を沢山してくれて…この人はしゃべりすぎる人だ身近にいると注意しなくてはいけない、という気持ちにまでさせるサービス過剰で濃厚な時間だった。そのときに流れていた南正人の近作SONGS(2003年)。気になる声で店主に声をかけたのだった。

「ちょうどうちで昨日ライブがあったんだよ」と、告知チラシもくれた(チラシと言っても配布はしていないらしく、こんごのスケジュールが知りたければ、電話して(笑)とのこと)。その後、南正人の音源はレコードやCDで買い集めたが、そのスタイルは初期から完成されている。というか、デビュー前である京都・山崎宝寺「第3回フォーク・キャンプ・フェスティバル」 でさえ、すでに完成されたスタイルだったとは黒沢進が書いていた。

そんな南正人(和田さんにいわせると見た目はキューピーちゃん)のライブのチャンスはそのときが最初で最後のチャンスだった。合掌。

90年代に60年代のカルチャーが面白いと思ったときの30年の時差は、現在においては自分が生きた90年代が該当するが、当事者としては当時のことはどんどんと記憶や興味が遠いてしまっているもので、ふりかえりたい気持ちもない。いまの興味は60年代をさらに遡り、50年代への興味が高まっている。シネ・ヌーヴォで特集上映中の野村芳太郎の映画がとてもおもしろい。2本鑑賞。移動中のカメラワークがみごとな「張込み」、若い岡田茉莉子のコミカルな声の演技が魅力の「花嫁のおのろけ」。結婚観の茶化し方などを見ていると、思っていた以上に50年代というのは進んでいる。女性専用車両もあったとは。ポスターは古色蒼然としているが映画はずっとハイカラですのよ。

夕食は今年初の焼き餃子。焼き色はきれいについているが、少し水が多かったせいで肉汁がやや逃げた感あり。食後eisakuのzoomストレッチを1時間。年末年始はzoomの時間制限がなしという計らいがあったという。